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My Profile(JJC Berita Jakartaより) 10/31/2005



名前:岩崎サムスル(Samsul) 性別:男 生年月日1959年4月15日 血液型:O型

 最初の動機ですが、1997年の健康診断で、「脂肪肝ですね。」と先生に言われ、何か運動しなければと思い、カメラで下町の風景を撮影しながら歩くことにしたのです。初めは子供の成長記録用に買った最新のAF一眼レフを持って歩いていましたが、どうもカメラばかりが目立つので、近所の写真屋に置いてあったどうみても売れ残りのヤシカのカメラを購入しました。それから毎日曜日の朝6時半から10時頃まで平均15キロは歩き、体重が10キロ減り脂肪肝も消えたのです。

  1998年はジャカルタ暴動もあり、とてもひとりで歩く気がしませんでしたが、下町は被害もほとんどなく人々の暮らしもそれ程の変化は有りませんでした。そして再び1999年には毎日曜日の朝歩くようになりました。2000年には、ザノニアさんいう長い写真歴の方と或るギャラリーで知り合いになり、土曜日は一緒にパサールバルの中古カメラ屋巡り、その後の反省会(呑むことがメイン)が標準パターンになり、Banten LamaやBogorなどにも連れて行ってもらいました。また彼から撮影技術なども教えてもらいました。でも一番嬉しかったのは、お互いの撮った写真を肴に思いの丈を話し合えたことです。残念ながらその彼も、昨年帰国してしまいました。

 2001年11月、それまでインターネットはROMばかりでしたが、実際に自分でホームページを立ち上げました。「ジャカルタ下町散策記」という写真・カメラのウェブサイトです。これがキッカケとなり、ネット仲間は日本全国・外国にも広まりました。ネット上の写真・カメラのクラブにも入りました。ネット仲間の皆さんに注目されるのは、日本では撮影が難しくなっている人物写真についてです。ブリタジャカルタ読者のみなさんはご存知かと思いますが、当地は人懐っこく写真好きな方が相当多いので、気軽に撮れてしまうのです。ネットで知り合ったクラブの仲間、写真家からもアドバイスを貰い、現在は白黒フィルムと中判カメラで人物を撮影することをメインとしています。そしてこのネット上で知り合った仲間と一時帰国した際にはオフ会を開き、そこで生の写真を見て頂き評価を頂いています。

 撮影場所は、以前住んでいたパサールブンチットの市場近くからクマン地区にかけて(南ジャカルタのイミグレーションでビザの更新をされる方も多いと思いますが、ちょうどその裏側になります)。また、クバヨランラマ駅や市場周辺、最近ではバスウェイのお陰で、グロドックやオムニバタヴィアホテルあたりまで足を伸ばしています。郊外ではBanten LamaやBogorによく出掛けます。

いつもカメラは最低2台持っています。一台にはカラーフィルム、もう一台には白黒ブローニーフィルムが入っています。カラーは、毎週70〜100枚プリントして次回訪問時に差し上げます。白黒フィルムは、自分用です。20〜30駒撮っても1〜2駒しか気に入るものがありません。こちらは自分で現像した後、行きつけのプリント屋で焼いて貰います。その後スキャナーに掛けて自分のホームページに貼ります。

写真を撮り始めてから現在まで、幸いにもそれ程危ない目にも未だ遭ったことはありません。でも、一駐在員がそういう下町をひとりで歩くのは決して他人さまに勧められることではないと思います。プレマンと言われるチンピラや、精神を病んでいる人にも、実際に出会います。正直なはなし、リスクだらけです。それでも出掛けて行くのは、写真を心待ちにしている子供達やお年寄りもちろん普通の大人まで、そういう方に写真を手渡したいからです。

撮影中は、撮らせて貰っている・その逆で撮ってやっている・ストレス解消・元気を貰おう・などとも思いません。自然体でその場にシンクロするように心掛けています。最初の頃はファインダーの中で良い表情ばかりを狙いましたが、今は相手と気心が合ったらシャッターを押すようにしています。それで結果が悪くても後悔はしません。また、気分が乗らないときは、「今日はフィルムが終わっちゃった。」とか理由をつけて撮らないことも多いのです。結果は、後でネガを見てこれ良いね!などと決めます。だからひどく生産性が悪いのです。

或る民家での出来事、小母さんから「うちの子を撮って欲しい。」と頼まれました。「良いですよ、この辺で撮りましょうか。」と表の軒先を示すと、困った顔で「今家の中にいるのです。」と言います。ストロボをカメラに装着して、入口から中を窺がいますが暗くてよく見えません。「すみません、お子さんは何処に…?」「いやそこに居ます。」「え!何処ですか?」と目を凝らしてみると、土間から少し上がったところに誰か横たわっていました。向こうを向いて寝ているので、よく分からなかったのですが、高校生くらいのようでした。彼は「お母さん、俺写真要らないよ。」と言っています。私は「無理に撮らなくても良いでしょう。」とそこから立ち去り、他所の子供を撮っていました。
暫くすると、また小母さんがやって来て「やはりうちの子を撮って欲しい。」と言うので、また入口からから中に入りました。入りましたというのは間違いです。本当に入ってしまうと被写体の息子さんと1メートルも距離がありません。ですから入口から中を覗く格好になります。暗くてピントも合わせられないので、だいたいの距離を目測ではかり、カメラの距離計を合わせストロボのチャージランプを確認して、「さあそれじゃ撮りましょう、こちらを向いてくれますか。」…影が蠢きこちらを向いてくれました。もの凄く細く痩せ細った身体の脇腹に子供の頭ほどの大きな腫瘍が有ります。ああ、これで彼は嫌がっていたんだな。一瞬ためらいましたが、そのままシャッターを押しました。ストロボの閃光に白く細い身体がパッと浮き上がりました。
これは急ぎの写真だろうと思い、その日のうちに現像プリントし、翌日は仕事だったのですが外出する用事をつくり、写真とネガを届けに行きました。何でも、何処かのTV局に持ち込み、取材に来て貰うそうです。どうもそういう恵まれない方を取材して募金を集める番組があると後から聞きました。その集まったお金で手術をして貰うのでしょう。その後、通り掛ったときに聞いたのですが、彼の手術は無事成功し元気になったそうです。その後実際に会って、そして「良かったねっ」と声を掛けました。

2005年2月、日本から写真友達が来ました。一人は高知のお医者さん、もう一人はJALの機内誌などのお仕事をされているプロ写真家です。滞在は丸二日だけ。朝早く出掛けるために、私の自宅に泊まって貰いました。撮影二日目の早朝、Bantenの遺跡に降り立った瞬間、その冷静なお医者さんが「ワオー!!」と歓声をあげて走り出したのにはビックリしました。日本で撮影している方からすれば、ここは映画のセットのような場所なのでしょうね。夕方まで撮影を楽しんで頂き、コタでシャブシャブ鍋をつつきながらの反省会。帰り際、「色んな所に行ったけど、ここが一番楽しかった!」と言ってくれたのがとても嬉しかったです。

私の写真を見て、本当にジャカルタまで来てくれたことがとても嬉しいです。

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